「AIに頼めば、プログラミングを知らなくてもアプリが作れる」という話を聞いた人は多いはずだ。では、自分のチームの非エンジニアメンバーに実際に任せてみるべきか、半信半疑で様子見するか。MonotaROの社内チーム「テックオペレーショングループ」は、まさにそれを1年かけて実現した。中心メンバーは全員、入社時点でプログラミング未経験・Mac未経験のアルバイトだった(MonotaRO Tech Blog)。ただし、最初に厚く教え込んだのはAIの使い方ではなく、地味なコマンドライン操作だった。何を、どんな順で教えると未経験者がそこまで到達できるのかを見ていく。
どんな仕事を担うチームなのか
このチームは、稟議や請求書処理、リソース監視といった庶務・IT運用の業務を、部門を横断して引き受けている(同記事)。グループ長の落合氏は採用サイトのインタビューで、手順書(Runbook)をただこなすだけでは「渡す側の負担は減らない」と述べている。日々の勉強会を通じて「手順書の行間を埋める力」を身につけてもらっていると説明する(MonotaRO採用サイト)。書かれた手順の外側まで自分で判断し、対応できる人を育てることが、この育成方針の根っこにある。では、その育成の中心にある「Vibe Coding」とは、具体的に何をすることなのだろうか。
AIに何を伝える開発なのか
ChatGPTやClaudeに「こんな機能が欲しい」と伝え、コードを書いてもらった経験がある人は増えている。この開発スタイルには「Vibe Coding」という名前が付いている。作りたいものの完成イメージを言葉にしてAIに伝え、コードそのものはAIに書いてもらう開発スタイルだ(同記事)。名付けたのは、2025年2月にOpenAIの創業エンジニアだったAndrej Karpathy氏で、X(旧Twitter)への投稿がきっかけだった(Karpathy氏のX投稿)。
MonotaROのチームが最初にぶつかった壁は、コードの書き方ではなかった。「作りたいものをイメージする」こと自体が、未経験者には最初のハードルになったという(同記事)。IT業界未経験の人に「AIエージェントがあるから、アプリを作ってみて」とだけ伝えても、何から手をつければいいか分からず止まってしまう。頭の中で完成形を思い描けなければ、AIにも的確に伝えられないからだ。では、どうやってそのイメージする力とAIへの伝え方を身につけさせたのだろうか。
なぜコマンド操作を厚く教えるのか
意外に思えるが、この育成プロセスで最初に時間をかけるのは、AIツールの使い方ではない。PCとサーバーの違いから始め、CLI(コマンドラインインターフェース)の操作をとにかく重視している(同記事)。理由は、AIを使い込むほど、結局CLIの領域で困ることになるからだという。
同記事は、AIとの付き合いが深まるにつれて出てくる要望と、そのために必要になる知識の対応を具体的に挙げている。
| AIに頼みたくなること | 必要になる知識・操作 |
|---|---|
| 便利な指示のパターンを「スキル」として使い回したい | ディレクトリ構成とパスの考え方 |
| もっと高度な連携がしたい(MCPを使いたい) | Node.js系のコマンド(npm・npx) |
| 一人で使うだけでなく、チームにも配布したい | Gitでの共有(git・ghコマンド) |
| 手元のデータだけでなく、データベースにも接続したい | BigQueryのCLIやmysqlコマンド |
| 社内のSaaSと連携させたい | APIとjsonのやり取り(curlでの実行) |
| 最終的にWebアプリまで作りたい | GASのclasp CLI |
この表から分かるのは、CLIの操作に慣れているかどうかが、AIにお願いできる作業の広さをそのまま決めているということだ。AIが代わりに書いてくれるのはコードの文字列であって、「何をどう頼めばいいか」を思いつく力の土台は、コマンドライン操作の経験に由来する。実際にAIと一緒に開発したことがある人なら、「あれもしたい、これもしたい」と要望が膨らんでいくうちに、気づけば知らないコマンドだらけになった経験に覚えがあるかもしれない。では、このチームは具体的にどうやってCLIへの慣れを身につけさせているのだろうか。
Gentoo Linuxを選んだ理由
CLIへの慣れを鍛える手段として、このチームは入社2〜3週間の時点でGentoo Linuxのインストールとシェル操作のハンズオンを課している(同記事)。Gentoo Linuxは、OSの設定をほぼすべて自分の手で組み立てていく必要があるディストリビューションだ。数あるLinuxの中でも手間のかかる部類に入る。
自分がまず引っかかったのは、AIがコードを代筆してくれる時代に、よりによってOSの設定をほぼ自分の手で組み立てるGentoo Linuxを新人研修に選んでいる点だった。同記事はこの選択の理由を2つ挙げている。1つはテック領域の運用業務では元々Linuxのコマンド操作が発生すること、もう1つは「Gentoo Linuxを起動する」という具体的なゴールに向かって手を動かすことで、コマンド操作に飽きずに慣れられることだ(同記事)。
ハンズオンの中では、Emacsのショートカット(Ctrl+n、p、b、fなど)によるシェル操作や、viの操作にも慣れてもらう。インストールが無事に終わる2〜3週間後には、ディレクトリ操作やパスの考え方、コマンドを打つこと自体へのストレスがなくなっているという。CLIへの慣れというゴールから逆算すると、実践的なコマンドを飽きずに打ち続けられる教材として選ばれている。こうした育成を1年間積み重ねた結果、チームは実際に何を作れるようになったのだろうか。
1年でどこまで作れるようになったか
この育成プロセスを経て、チームには具体的な変化があった。請求書からデータを抽出し、起票処理まで行う本格的なアプリを自分たちで開発できるようになったのだ(同記事)。管理画面には、次の機能が揃っている。
- フォルダを指定してデータを取り込む
- 抽出ルールをJSON形式で編集する
- 本番投入前にテスト実行して結果を確かめる
ただし、このアプリが担うのは起票処理までで、その後の承認は従来どおり人間が行うプロセスを保っている。
Git・GitHubの使い方でも変化があった。1年前はチーム内にGitを使うメンバーが一人もいなかったが、今では全員が日常的にGit・GitHubを使っている。中には、AIを使ってTerraformのコード(インフラをコードで管理する仕組み)を書き、Pull Requestを提出するメンバーも出てきたという。週次・累積のマージ済みPull Request数も右肩上がりに増え続けているとMonotaROは説明している。ただしこれは同社が自社のGitHubデータを集計した自己申告の数字で、外部機関による検証があるわけではない。
数字だけでなく、チームの動き方そのものも変わった。教えられた技術を使うだけでなく、自分たちで便利なAI活用の「スキル」を日々増やすようになり、毎週メンバー同士でAIの新機能を発表し合う会を自主的に開いているという。
まとめ
MonotaROのテックオペレーショングループは、プログラミング未経験・Mac未経験のアルバイト中心のチームだった。それが1年で、請求書処理アプリの開発や、AIを使ったTerraformコードの提出までこなせるようになった。
ポイントは、AIツールの使い方より先に、CLI・Linux・Gitといった基礎操作に時間をかけたことにある。CLIに慣れているほど、AIに頼める作業の幅がそのまま広がるという関係が、その理由になっていた。非エンジニアの多いチームにAI活用を広げたい人にとって、「まずAIの使い方を教える」のではなく「まずコマンド操作に慣れさせる」という順番は、遠回りに見えて近道になりうる。
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